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スキーバカが政治教育に手を出し、SFCに入学するまで

3歳からスキーに没頭し、17歳で政治の壁に気づき、ミラコエを立ち上げ、慶應SFCに進学するまでの全記録。

はじめに:スキー少年からの運命の転換

3歳の頃、僕はスキー板を履いて雪山に立っていた。 父が「滑れるようになって欲しい」と連れていってくれたのがきっかけだった。最初は怖がっていたけど、そのうち「もっと滑りたい!」と泣きながら父親に食い下がるような子どもになっていた。

周りの子たちがサッカーやピアノに通う中、僕の週末は雪山にあった。小学校に上がると本格的に競技を始め、トレーニングのためにトランポリンにも取り組んだ。

もちろん、いつも順風満帆だったわけじゃない。練習が厳しくて「もうやめたい」と泣きながら親と喧嘩することもあった。でも、板を履いて滑りだすと、すべての嫌なことが消えていった。雪の上だけは自由だった。 中学生になるころには

プロのフリースタイルスキーヤーになる

という夢を描くようになっていた。全日本選手権では15位、ワールドジュニアツアーでは2位にまで上り詰めた。

雪の上で自分の限界と向き合い、時には大ジャンプに失敗して骨折することもあった。でも、それすらも含めて、すべてが「自分の選択」だった。 スキーは自由だった。自分の責任で滑り、失敗も成功も全部自分で引き受ける。

母の影響も大きかった。彼女は選択的夫婦別姓訴訟の原告で、社会の不条理に立ち向かう姿を幼い頃から間近で見てきた。「おかしいと思ったら声を上げる」ってことを、母は行動で教えてくれた。 それが、17歳の夏に大きな転機を迎えた。

選挙権を得る直前のある日。ふと気づいたんだ。 「自分は、誰に投票すればいいのかわからない」って。

スキーのことなら何でも知ってるのに、政治のことは全然わからない。誰が何を言ってるのか、どの政党がどんな政策を掲げてるのか、まるで理解できなかった。

そのとき、不思議な感覚に襲われた。これって、おかしくないか? 将来の自分たちの生活を左右する政治なのに、そもそも「わからない」状態で投票することになる。学校では議院内閣制や三権分立は習うけど、生きた政治について考える機会はほとんどない。 スキーは失敗したら自分が痛い思いをするけど、政治は違う。知らないままでいると、気づかないうちに自分たちの未来が決められてしまう。 なぜ若者は政治に興味がないのか?それって本当に、俺たちのせいなのか? その問いが、スキー少年だった僕を別の道に導いた。

理想を掲げて一歩を踏み出す

高校3年生の夏、政治・経済の授業で先生から課された課題がきっかけだった。 クラスメイトは「日米関係」とか「少子高齢化問題」とか、教科書にありそうなテーマの新聞を読む課題とかを選んでいた。 でも俺は違った。「政治家の話を聞いて模擬投票を行おう!」というイベントを企画することにした。単なるレポートじゃなく、実際に行動に移してみようと思った。 正直、最初は自分でも「無茶すぎるだろ」と思った。現役の国会議員を高校に呼ぶなんて、可能なのか?でも、やってみなきゃわからない。 電話をかける手は震えていた。最初の政党事務所に電話したときの緊張感は今でも覚えている。「あの...高校生なんですが...」と震える声で話す自分。

予想外だったのは、意外と政治家は来てくれること。「高校生が政治に興味を持ってくれるなら」と、5つの国政政党から4人の現職国会議員が来てくれることになった。

同志社中学・高等学校で「政治家の話を聞いて模擬投票を行おう!」イベントを開催した当日。 会場には200人以上が集まった。政治家の方々が「もし国家予算が十兆円増えたら何に使うか」というテーマで熱く議論し、参加者からの質問に答えていく。 そこで僕は、それまで見たことのない光景を目の当たりにした。

政治家同士が互いの主張をぶつけ合う姿。教科書には載っていない生の政治。そして何より、政治の話が「退屈」なんかじゃなくて、むしろ白熱していたこと。

参加した高校生たちの目は輝いていた。政治に興味がないはずの若者たちの顔に、真剣なまなざしが浮かんでいた。

「最後に模擬投票を行います」と僕が告げると、皆が丁寧に投票用紙に記入し始めた。自分の一票を真剣に考える仲間たちの姿を見て、胸が熱くなった。

でも、そこからが問題だった。 イベント後、ある女子生徒が僕に近づいてきてこう言った。 「政治のことがよくわかったし、面白かった。でも...これからどうすればいいの?投票日まであと1年もあるし、これで終わりなの?」 その言葉が僕の胸を刺した。 そうだ、単発のイベントでは意味がない。若者の政治離れは、一度のイベントで解決できる問題じゃない。 「政治への関心を高めよう」「若者の投票率を上げよう」というスローガンは、空虚な言葉に過ぎなかった。 その夜、僕は友人の茂木に電話をかけた。 「学生団体をつくろう。継続的に若者と政治をつなぐ活動をしたい」 茂木は黙って聞いていたが、最後にこう言った。

単に投票率が上がればいいの?それで何が解決するの?

その一言で、僕の頭の中で何かが崩れ落ちた。 そうだ...「若者の投票率を上げる」だけが目的じゃない。そもそも、なぜ若者は政治に関心を持たないのか?政治について話す場がないのか? もしかして、問題は僕たち若者の「無関心さ」じゃないのかもしれない。 むしろ、政治が若者から「離れて」いるのではないか?

教育基本法14条第2項により、学校では政治的活動が制限されている。正しく政治を教えようとすれば「偏向教育だ」と批判され、タブーとされる風潮がある。そんな環境で育った若者が、どうやって政治に関心を持てるというのか?

単なる「投票率アップ」を目指す団体ではなく、「国民(特に若者)が政治を身近に感じ、政治や情勢について議論しやすい風潮に変える」という理念を掲げた「ミラコエ」を設立した。 「ミラコエ」とは、「ミライを創るコエ」の略だ。 若者の声を社会に届けたい。より良い未来を、自分たちの手で創りたい。 ...でも、イメージだけで始めた活動は、すぐに壁にぶつかった。

ミラコエ設立 -- 苦闘と成長の日々

「結成してまもない任意団体」という言葉が、これほど重いものだとは思わなかった。 2024年9月15日。わずか4人のメンバーでミラコエを結成した時は、まだバラ色の未来しか見えていなかった。初回の模擬投票イベントの成功体験が、僕をいい気にさせていたのかもしれない。

「ミライ選挙っていう大きなイベントを開催しよう!現役の国会議員を呼んで、若者と政治家が直接対話できる場を作るんだ!」 言うのは簡単だ。でもやるのは地獄だった。

どんなことをやろうにもお金は必要だ。資金を集めるためクラウドファンディングを開始し、無事15万円を調達した。

最初の壁は「誰も相手にしてくれない」ということ。 政党の事務所に電話をかけた時のことを今でも鮮明に覚えている。まだミラコエ結成前、最初のイベントの時は「同志社高校の生徒です」と名乗れば、それなりに対応してもらえた。だから今回も同じだろうと思っていた。

「ミラコエという学生団体の者ですが...」 「...ミラコエ?どこの団体?」 「えっと...若者の政治参加を促す活動をしている学生団体です。まだ設立したばかりで...」 「あ〜...そうですか。現在、議員のスケジュールは非常に厳しい状況でして...」

電話の向こうの声が冷たく感じた。たった数カ月前とは明らかに違う対応。「同志社高校」という看板がなくなっただけで、こんなにも扱いが変わるのか。何度電話しても、丁寧な断り方をされるだけ。 大抽選会の景品協賛のために企業にも連絡した。100社近くにメールを送ったけど、返信はゼロ。 4,000部も刷ったチラシを街で配っても、多くの人は素通り。受け取ってもらえたとしても、「なんか怪しい団体じゃない?」という目で見られる。

SNSの運用も苦戦した。フォロワーが増えず、イベント告知を出しても反応がない。開催2週間前にもかかわらず、参加申し込みはたったの15人。 「このままじゃ、誰も来ないイベントになるぞ...」 胃がキリキリと痛むような不安と焦りで、何度も活動をやめようかと思った。スキー競技の時は、練習すれば必ず結果が出た。でも、これは違った。どれだけ頑張っても、成果に結びつかない。 そんな時、あるメンバーがポツリと言った。

「こうやは、最初から自分ひとりでやろうとしすぎじゃない?メンバーみんなの力を信じてみたら?」

その言葉にハッとした。 僕は「ミラコエの代表」という肩書きにこだわるあまり、ワンオペで全てをやろうとしていた。「自分でやった方が早い」「他の人に任せて失敗したらどうしよう」という気持ちが、チームの力を活かせていなかった。 それからは方針を変えた。メンバーの強みを活かす「局分け」を行い、それぞれに「大臣(リーダー)」を配置。各部署の仕事内容を明確にし、責任と権限を分散した。

気温が氷点下の中、メンバー全員で京都河原町、同志社高校前、立命館大学前、北大路駅前の4箇所でチラシ配りをした。50社以上の企業に足を運んで協賛依頼。SNSの運用もメンバー全員で分担し、友達に参加を呼びかけた。 そして、断られても断られても政治家への依頼を続けた。 「若者と政治家をつなぐ意義のあるイベントです。どうか、お力をお貸しください」 あるとき、政治家の秘書から返ってきた言葉。 「ぜひ協力させてください。」 その一言で、長いトンネルに光が差したような気がした。 地道な努力が実を結び、徐々に協力者が増えていった。最終的には5名の国会議員の登壇が決定。21もの企業・団体から協賛を得ることができた。

そして2025年2月16日、「若者による若者のためのミライ選挙」開催当日。 会場の同志社高校グレイスチャペルには、若者を中心に271名が集まった。オンライン参加者も合わせると300名を超える規模に。

国会議員5名による**「2030年の日本をどう作るか」**をテーマとした白熱した討論。エネルギー環境問題、教育制度、憲法改正、経済政策など、幅広いテーマについて議論が交わされた。

ミラコエメンバーが独自に開発した匿名質問システムを使って、参加者は気軽に質問を投稿。他の参加者が「いいね」をつけた質問が採用され、議員に投げかけられる仕組みで、活発な質疑応答が行われた。

「先日の石破首相の日米会談は成功か、失敗かどうお考えですか?」 「国会議員の給料がアメリカの連邦議会などとも比較しても高すぎると思います」

参加者からの率直な質問に、国会議員が真摯に答える。そんな光景を目の当たりにして、多くの参加者の目が輝いていた。

イベント後のアンケートでは、97%が「また参加したい」と回答。全体評価は平均8.45/10点という高評価を得ることができた。 ある参加者の感想が特に印象に残っている。

「政治は遠い世界ではなく他人事にしてはいけないと学んだ。自分の意見を持って政治に積極的な姿勢をみせていきたい」

この言葉を読んだとき、胸が熱くなった。

これが僕たちの目指していたものだ。政治を「遠い世界」から「自分ごと」に変えること。

でも、この成功の陰には、数え切れないほどの失敗や挫折があった。計画の甘さ、コミュニケーション不足、リーダーシップの未熟さ...。 それでも前に進めたのは、「若者の政治離れを解消したい」という純粋な熱意と、それに共感してくれる仲間の存在があったからだ。

この経験から学んだことは、「世の中を変える」という大きな理想を掲げても、実際の変化を生み出すには地道な行動の積み重ねが必要だということ。そして、一人の力には限界があり、多様な仲間の力を結集してこそ、大きな変革が可能になるということだ。

自分の「本当の課題」を見つけるまで

ミライ選挙の成功は、僕にとって大きな転機となった。 若者の政治離れという問題に取り組む中で、より根本的な課題が見えてきたんだ。 それは「教育」の問題だった。 ミライ選挙のアンケートに書かれていた参加者の声。 「政治についてほとんど何も知らなかった」「学校では政治の話をする機会がなかった」「どの政党がどんな政策を掲げているか、全く分からなかった」 これらの声を読むたびに、違和感を覚えた。

政治に関心が低いのは若者の問題なのか?それとも、政治について学ぶ機会を十分に提供していない教育の問題なのか?

教育現場では政治的な議論が避けられ、暗記中心の受験対策に追われている。主権者教育といっても、形骸化したものが多い。若者が「自分ごと」として社会や政治を捉える機会が圧倒的に不足しているんだ。

そう考えると、僕のやるべきことは「若者の政治参加を促すこと」だけじゃない。より根本的な「教育」の課題に取り組む必要があると感じた。

そして私は慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)へ進学した。

同志社大学への内部進学が可能な附属高校生。周りからは「なぜわざわざ受験するの?」と不思議がられた。

でも、SFCには僕が求めていたものがあった。 「問題発見解決型」「創造性開発型」の教育。多様な分野の専門家や先輩たちとの出会い。そして何より、教育とテクノロジーの融合という新しい可能性。 特に惹かれたのは、AIと教育の融合に取り組む研究環境だった。 僕は考えた。若者の政治離れの原因の一つは「何に興味があるのか分からない」「どう探究を進めればいいのか分からない」という状態にあるのではないか?

そこでAIを活用して、個々の興味関心を発見・深化させるためのツール開発に挑戦してみたいと思ったんだ。 「アスラボ(明日を、作る研究所)」という構想を練り始めた。これは、AIとコミュニティの力で、若者一人ひとりが自分の可能性を発見し、主体的に未来を切り拓く場を創造するというプロジェクト。

テクノロジーの力で教育をパーソナライズし、誰もが自分の可能性を発見できる環境を作りたいという思いが強くなっていった。

スキーの世界からミラコエの活動、そしてAIと教育の融合へ。一見バラバラに見えるかもしれないけど、全てつながっている。 スキーで学んだのは「自由と責任」。自分の選択で滑り、その結果を自分で引き受ける。

ミラコエで学んだのは「当事者意識と協働」。社会の課題を「自分ごと」として捉え、多様な仲間と共に解決に取り組む。

そして今、AIと教育の融合を通じて学びたいのは「個性と可能性の解放」。一人ひとりの興味関心を尊重し、自分らしい学びと成長の場を創る。 これらは全て、「自分の人生を自分で切り拓く力」につながっている。

慶應SFCへの挑戦は、まさにその一歩だった。 附属高校からの安全な道を捨て、未知の世界に飛び込むことには不安もあった。でも、その方が自分らしい。

スキー少年だった僕が、政治教育に挑戦し、そしてAIと教育の融合へと進む。一見遠回りに見えるかもしれないけど、これが僕の道だと確信している。

今、10代の君たちに伝えたいこと

「こうや、お前さ、結局何がしたいの?」 友人からよく言われる言葉だ。 スキーに打ち込み、政治教育活動を始め、AIと教育の融合を目指す...一見すると脈絡のない道のりに見えるかもしれない。

でも、これは決して迷走じゃない。 むしろ、一つの課題から別の課題へと、自然に道が開けていった感覚だ。 今、10代の人たちに伝えたいことがある。

「好き」を究めても、新しい世界に飛び込んでいい

僕はスキーが大好きだった。プロを目指して猛練習し、全日本選手権やワールドジュニアツアーでの入賞という目標も達成した。

でも、ある時「これだけじゃない」と感じた。自分の中に別の可能性が眠っていることに気づいたんだ。 「好き」なことを追求することは素晴らしい。でも、それだけが人生の全てではない。 むしろ、一つのことに打ち込んだ経験は、別の分野でも必ず活きてくる。スキーで培った「練習を重ね、失敗を恐れず挑戦する姿勢」は、政治教育活動でも、SFC受験でも大きな力になった。

だから、今打ち込んでいることがあるなら、思いっきり取り組め。でも同時に、新しい世界への好奇心も大切にしてほしい。

一つの課題が、別の課題につながる不思議な法則

17歳の夏、選挙権を得る直前に「政治がわからない」と気づいたことが、政治教育活動のきっかけになった。

そして政治教育に取り組む中で、より根本的な教育の課題に気づき、AIと教育の融合というアイデアに辿り着いた。

最初から全てを見通すことはできない。でも、目の前の課題に真摯に向き合い続けると、不思議と次の道が開けてくる。

「この活動に意味があるのか」「将来の役に立つのか」と考えすぎず、**今興味を持ったことに飛び込んでみよう。**それが思わぬ形で未来につながる。

行動しながら考える -- 私が見つけた「自分の道」の作り方

一番大切なのは、「行動しながら考える」こと。 僕は「政治教育に興味がある」と漠然と思っていただけだった。でも、実際に行動を起こし、イベントを企画し、組織を運営する中で、自分が本当にやりたいことが見えてきた。

頭の中だけで考えていても、答えは出ない。まずは動いてみること。たとえ失敗しても、その経験から学べることは必ずある。

「政治家の話を聞いて模擬投票を行おう」というイベントも、最初は授業の課題をクリアするための小さな一歩だった。でも、その一歩が次の一歩を生み、いつの間にか大きな道になっていた。


最後に一つだけ伝えておきたい。 どんなに迷っても、自分の感覚を信じてほしい。 「これはおかしいんじゃないか」「こうあるべきじゃないか」という違和感や理想は、決して無視しないでほしい。 母が選択的夫婦別姓訴訟の原告として社会に声を上げたように、スキーで自分の限界に挑戦したように、政治教育活動で若者と社会をつなごうとしたように。

自分の中の「これじゃない」という感覚と、「こうあるべきだ」という理想が、あなたの道を作っていく。 スキー少年が政治教育に手を出し、SFCに入学するまで -- この一見遠回りに見える道のりが、実は自分にとっての最短コースだったと今は思う。

君たちも、自分だけの道を、迷いながらも一歩ずつ進んでいってほしい。 その歩みを、心から応援している。